雨上がりのイスタンブール。石畳が濡れ、冷え込んだ夜の空気が肌を刺すような、歴史ある広場を横目に、雨に濡れた路面を歩いていました。足元には、クラシックで温かなガスランプのような街灯の光が、いくつもの小さな黄金の環となって反射しています。 昼間のいさかいや、思い通りにいかなかった出来事が、冷たい雨に洗われて消えたような、あるいはすべてが失われたような、空っぽの感覚に包まれながら、思い起こす言葉がありました。
「すべてが失われようとも、まだ未来が残っている。」 ――クリスチャン・ボヴィー
日常を黄金に
ガスランプの温かな光を見つめながら、私はふと立ち止まりました。 すべてが失われたと感じる時、私たちは、目の前の大きな闇や、失われたものの影だけを見てしまいます。けれど、この濡れた広場のように、雨はすべてを洗い流したあとも、川となり、海へと向かい、またやがて雲へと姿を変えます。
それが集まり、また雨を降らしているという事実。それは、循環という可能性が、まだ失われていないことの証拠なのです。 たとえ具体的な持ち物や、肩書き、あるいは大切な人間関係が失われたように見えたとしても、あなたの魂という不滅のランプの炎は、まだ静かに燃え続けている。そして、その炎がある限り、次の瞬間という未来は、あなたの手によってどのようにでも書き換えられる、未完のキャンバスとして残されているのかのように。
広場の奥には、温かな光を放つ歴史ある建物が建っています。何百年もの間、多くの人々を受け入れ、未来への可能性を育んできたその場所は、漆黒の夜にも、未来への揺るぎない道しるべとして、そこにあり続けたはずです。 自然の巡りに目を移し、その流れに心を預けてみる。すると、失ったように見えた昨日までもが、もっと自由で、もっと愛おしい今日へと、姿を変えているように思えてきませんか。



